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2003年9月〜12月あたりに書いてたネタの抜粋。見返したら「へぇ〜」とか思ったのでw
・米軍などがもっている大口径狙撃銃(口径12.7mm、通称50口径)は、国際法で対人使用が禁じられている。その理由は残酷だから。 ・ジェット機が使う燃料はJP-4とか言って専用っぽいが、その成分は灯油に酷似しているため、実は灯油で飛ぶことができる。 ・「ゼロ戦の機銃って・・・」とか言う人が多いが、零戦の搭載中は7.7mmと20mmがあり、20mm以上の口径のものは「砲」という扱いになり「銃」ではない。またゼロ戦ではなく零戦(れいせん)って言え。 ・プライベートライアンの小説に「タイガー戦車がディーゼル音を響かせてその巨体をあらわした」という記述があるが、ドイツ軍の戦車はすべてバリバリのガソリンエンジンである。またタイガーではなくティーガーと呼ぶのがそれっぽい。 ・映画などで敵の銃撃を受けた兵士がブロック塀の影に隠れて銃撃を避けたりするが、機銃弾はブロック塀などスポスポ打ち抜くので実は隠れてもあまり意味がない。ちなみに50口径の機銃弾になるとほとんどの建物の影に隠れても意味は無い。 ・西側軍用艦船は対艦ミサイル防御用にCIWS(しーうす)というレーダー照準の20mmバルカン砲を積んでいて、米軍などは劣化ウラン弾芯の20mm砲弾を使用しているが、日本は放射性物質に対してアレルギー体質を持っているのでタングステン弾芯の20mm砲弾を開発した。そしてその値段は1発8万円。ちなみにその発射速度は最大毎分3000発。 ・最後の有人戦闘機と言われたF−104戦闘機だが、ぜんぜん最後じゃなかった。 ・コルベット・スティングレーはそのグラマラスなくびれたボディラインが魅力なのだが、その腰のくびれのデザインは空力的には音速突破時に有効なものでしかない。 ・まだロシアがソ連だったころ、自衛隊が上陸してきたソ連戦車部隊を仮想敵に想定して防衛訓練をやってみたところ、17分で突破されたらしい。ちなみに現有戦力でどうかは知りません。 ・自衛隊の90式戦車は時速30kmで急ブレーキをかけても、その制動距離は2m。(うろ覚え)
Vol.2の予定はありません。 また、合コンでこのネタを使ってなにか損害を受けた場合、当方では一切の責任を負いませんので悪しからずー。 つーか使うな(笑) さて、話はぜんぜん変わりますが、前回の「今日からあなたも合コンキング!イワナミ式コネタ集 Vol.1」ですが、那珂川町在住のTakashotさんから続編を求めるメッセージがあったくらい好評だったので(サンプル数1)、調子に乗って第二弾をやらかします。
・当時最強と言われたタイガーU、通称キングタイガーの砲塔前部装甲の厚みは180mm。これは巡洋艦並の厚みであり戦車砲で打ち抜くのは無理だった。 ・後ろのタイヤ部分だけキャタピラになったハーフトラックはアメリカ、ドイツとも使用していたが、キャタピラ部分の動き方に決定的な差があった。アメリカのものは単純に回るだけだったが、ドイツのものはハンドルの操舵角に合わせて左右の回転数をずらし、旋回性をアップしていた。 ・ついでにバイク版ハーフトラックと言えるケッテンクラートだが、これも上記キャタピラシステムを採用していたので、前のタイヤが無くてもちゃんと走る(曲がる)ことができる。 ・朝鮮戦争も末期になってくるころ、アメリカ軍はとにかく武器の数をそろえるのに苦労していたので、後期のM1カービン銃のライフリングは生産性を上げるため二本しかないものがあった。(通常は6本) ・ヨーロッパ戦線において、米軍のシャーマン戦車はドイツのタイガー戦車などにまったく歯が立たなかったため、変速機を改造して前進より後退のほうが速い車両が存在したらしい。 ・メンフィスベルで有名なB-17戦略爆撃機はその頑丈さゆえ激戦を戦いぬけた。その頑丈さの所以は左右貫通構造、つまり一枚づくりの主翼にあったと言われている。ちなみにその主翼幅は36メートル。こんな一枚ものを作れたのはアメリカだけ。 ・ベトナム戦争当時、どんな奥地の米軍前線基地でも商売女がカブに乗って現れたらしい。 ・フォークランド紛争で対艦ミサイル「エグゾセ」の直撃を受けて沈んだフリゲート艦アーデントだが、エグゾセの弾頭は不発だったらしい。で、直撃したのが調理室で丁度コロッケを揚げていて、シューシュー噴出すエグゾセの燃料に引火、大火災に発展し、しかもアーデントの上部構造物は当時流行だったアルミの艦橋だっただめ、見るも無残に燃え尽き(鉄ならあそこまで燃えない)沈没したらしい。 ・F-15イーグル戦闘機は、その大馬力エンジンゆえ、理論上羽根が無くても上昇することができる。 ・戦艦大和の後部とかに積んである水上機(零式水上観測機)は、発艦こそカタパルトで行えるものの、通常外洋には数メートルのうねりがあるため着水も難しく回収は不可能。よって機体は帰還するすべが無かった。(要は使い捨て) ・自衛隊の事実上主力小銃である64式小銃は口径などは一般的なNATO弾サイズ(7.62×51mm)だが、装薬を減らしてある弱装弾を使用する。フルロードの弾薬を使うとどうなるか分からない。 ・自衛隊の缶飯と言われる缶詰のご飯は美味い。 ・地震、津波で壊滅的被害を受けた奥尻島にて、同島にあった自衛隊基地から被災した市民に缶飯などが無償で提供され奥尻島の被災市民は飢えずに済んだのだが、のちにこの決定を下した基地指令は処罰されたらしい。アホか自衛隊の高官は。 ・ヘリコプターの操縦は感覚的なものなので、こうすれば良い、というものは無いので、ヘリコプターパイロットには「大体こんなもん」みたいな血液型がO型の人に向いているらしい。
以上コネタ集Vol.2でした。 うろ覚えの部分もあったりしますので、情報の正確さには自信がありません。資料として使っちゃイヤ!
・最近ビジネス界で流行っている(と思われる)「ランカスターの法則」だが、これはイギリス軍がドイツのUボート対策のために考えられた理論を元にしている。ちなみに不恰好で有名なランカスター爆撃機や、某スバルのランカスターとは関係ない。 ・日本軍の戦闘機は、陸軍と海軍でスロットルの方向が違っていた。(海軍:押す→加速 陸軍:押す→減速) ・正露丸は日露戦争時に兵士の下痢止めに開発されたので「露(ロシア)を征する」という意味で正露丸と名づけられた。また、その成分は壁に塗る防腐剤とほぼ同等らしい。 ・日本本土初爆撃を果たしたドゥーリトル隊のドゥーリトル中佐は、元飛行機レーサーでシュナイダーカップで優勝している。そして彼がそのとき搭乗していた機体こそ、宮崎駿監督の「紅の豚」に出てきた「カーチス」である。 ・電子レンジは、元々米軍が電磁波で飛行機を落とせないかと開発していた技術がもとになっている。しかもその開発名は「殺人光線」だった。 ・ステルス戦闘機にはフェライトという磁性体が使用されレーダー波を吸収しているのだが、ステルス機の開発当時、米軍はTDKの磁性体技術に驚きその特許を使っていた。もちろん特許料を払っていた。 ・日本海軍がパイロット候補生を選考する際、人相学の占い師の意見を重視していた。しかもその占いは的確だったらしい。 ・戦艦大和の艦首のアゴ部分は「バルバスバウ」と呼ばれる球状艦首で、これは舳先が立てる波を相殺させて速力アップに貢献するものである。この技術を最初にやったのは日本で、後にもアメリカしかやれなかった(やらなかった)技術。 ・また、バルバスバウ内部には潜水艦策敵用の聴音器が備え付けられていたが、これは真上でザブザブ波を砕く音のため航行中は使い物にならなかった。 ・「ニイタカヤマノボレ!」の暗号伝文で有名な新高山は台湾にある。当時台湾は日本領土だったので「日本で一番高い山は?」と聞かれたら「新高山!」と答えないと非常識人扱いされたらしい。
ネタは「あなたの最寄の軍事評論家 佐世保在住M本」さんよりいただきました。仕事中にも(笑)
・個人的に第二次大戦最優秀戦車の称号を与えたいドイツ陸軍のパンター戦車であるが、その型の変遷が通常はA→B→C→D・・・と続くのに、パンターだけはD→A→Gと変則である。こうなった理由は未だに解明されていない。このことが、今年の流行語大賞「なんでだろ〜」の発送に起因していないことは間違い無い。 ・シューマッハの駆るフェラーリF1マシン(F2003-Aでしたっけ?)とジェット戦闘機ユーロファイターが競争し、600mまではフェラーリが速く、あとはユーロファイターが速かったわけですが、このフェラーリの最高速度は369km/h。ちなみにスツーカの名前で有名な急降下爆撃機ユンカースJu87-Bは最大速度387km/h。37mm砲二門もぶら下げたカノンホーゲルJu87-Gにもなると375km/h。個人的見解でアレだが、フェラーリはがんばれば飛べると思う。 ・ティーガー戦車隊の著者として有名なオットー・カリウス中尉だが、彼は150両もの敵戦車を破壊したエースである。彼の愛機はタイガー(ティーガー)戦車だった。大戦を生き延びた彼は、その後薬局を開いた。その薬局の名前は「タイガー薬局」。その命名に彼の誇りを感じる。 ・ちょっと前に、毎日新聞が「自衛隊もクラスター爆弾を装備していた!」とスクープばりに一面トップで騒いだことがあった。しかし、そんなことはミリタリー好きの者にとっては何年も前から周知の事実であった。恥ずかしかったのか、その追跡報道は以後、無い。 ・第二次大戦末期、アメリカが原爆実験を本土核実験場で行う際、爆心地直下に数人のアメリカ兵が観測のため居たらしい。実験は成功しキッチリ爆発したが、直下にいた兵士は居なくなっていたらしい。 ・1983年に封切りされた映画「ブルーサンダー」において「ヘリコプターで宙返りなんてできっこない」という前提のもとクライマックスまで話が引っ張られるわけだが、ヘリコプターの宙返りは1950年代に既に行われていた。 ・初のジェット戦闘機同士の対決の場となった朝鮮戦争当時、Mig-15のパイロットが被っていたヘルメットは、まだ皮製だった。 ・BF1942で手榴弾を投げる際、右クリックで投げる力の調節が出来るが、押しっぱなしにしないでクリックしただけだと、投擲パワーミニマムなので足元にポトリと落ちる。あせって走りだしても間に合わないのでだいたい爆死する。気をつけよう!
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続編の予定はありませぬ。もう無理。
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